その日暮らしと日進月歩/2004-08-30

Last-modified: 2005-01-16 (日) 08:18:12 (7032d)
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心模様 10:00

  • 思えば一年と少し前、相変わらずの自分に呆れ返り職場にも色を失ったあたりから、ただでも心閉じ気味だった俺の関東ライフはさらに閉じこんでいったか。
    で、瀬戸際の心境を経て、こんな閉じ気味の俺にも何人かノックをしてくれる友人がいてくれたおかげか、この5ヶ月ほどでだいぶほどけてきたように思う。

    とはいえ「相変わらずの自分」はやはり相変わらずで。
    その「相変わらずの自分」に問題を感じ始めてから足掛け7年、もがいちゃいるがどうしても開けることのできない扉がある。

    その扉を、最近こじ開けてもらった。

    だからといって急激に俺の一挙一動が変わるものでもないんだけど。
    変わるどころか、相変わらずの自分を再び目の当たりにしてるようなところもあるんだけど。
    でも今このことによって、「自分が立つことになるとは思わなかった景色」の中に俺がいる。
    その景色のオープン具合にびっくりしてとまどっている。
    どう立ち回ったらいいのか良くわからなくて、煮え切らない行動に落ち着いてしまう。
    きっとそれは、俺が自分のわがままの処し方にとまどっているからであろう。
    この類のわがままをオープンにすることに慣れていないからなのかな。

    俺を良く知ってる友人が言うには「身持ちの堅いおまえにしては、簡単にしたね」だそうな(笑
    堅いっていうより、俺の間口っつーか度量が狭いだけなのさ。受け入れられないばっかりに、色んな人を拒絶してきた。
    種類の別を問わず、俺が心から受け入れられる人って、思えばめっちゃ器量のある人ばっかり。それは言い換えれば、俺が受け入れてもらってるだけということでもあるんだ。
    小さい頃に「おまえ友達選びすぎ」とおかんに言われたのをつくづく思い出すよ。

    そんな俺を「お子ちゃま」と表現してくれた人もいれば、「優しい」と表現してくれる人もいる。
    「優しい」なんてゆってくれる人は、それはきっと、あなたが「優しい」のです。
    「お子ちゃま」とゆってくれた人は、それはきっと、あなたが「いっぱい受け入れてきた大人」なのです。

    他のシーンはともかく、このシーンに関して俺は「わがまま」の表現の仕方を知らないだけなんだ、たぶん。
    それどころか、自分のわがままの在りかすら見えていないんだ。
    「わがままの在りか」がはっきりと見えて来た頃にはすでに機を逸しているってことを繰り返しているわけだが。
    俺はこれを機に変わっていくんだろうか。それとも、相変わらずのままでもゆるしてくれる人を探していくんだろうか。

脳みその限界 22:30

  • だめ。考え事で頭が飽和してきた。
    仕事の時間は目の前のことに集中してるし周りに人もいるからいいけど、一人になるといかん。

    取り巻く人間の数が増えると、そのぶんついつい考えることが膨らんでしまう。
    止めようとしてもとまらない。
    しょせんこれが俺なのか。
    自分と相手のことだけを考えていればいい状況なら、もちっとフットワークも軽くなるんだろうか。

    「俺が欲しい気分になってる対象を、誰か他の人も欲しがっているのなら、俺は別のを探そうか」

    どこかそう考えてる節のある俺がかろうじて手に入れられるものと言えば、わずかばかりの自足物と、それにまつわる人の温かさだけか。

    それだけで充分ではないか。
    俺のねじけたわがままなんぞ、軽い嗚咽と一緒に飲み込んでしまえ。

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