その日暮らしと日進月歩/2010-03-19
考え事のかけら
- 楽しむこと、苦労すること
諏訪耕平の研究メモ - 「社会の論理」を持ち込む人々
狐の王国 - 自分と同じ苦労をしなくていい人を見るとキレる人々これらの記事、いずれもとてもいい視点だなぁ。
そしてとても丁寧で見事な表現。以下、主に狐の王国さんの記事より抜粋して感想みたいなことを書いてみる。
抜粋1:
子供時代にあまり学業を求められない沖縄文化で育つ中、わりと好きなように勉強をしていた自分だったので、似たような場面に当時何度か遭遇した覚えがある。俺は割と好きなことやってきたせいか、あんまり自分が苦労したという自覚はないのだが、それでも無邪気に「プログラム書けていいなー」とか言われるとむっと来ることもある。お前は俺と同じだけ本やらウェブやら英文マニュアルやら読みまくったのか、星の数ほどコードを書いては直しを繰りかえしたのかと、そんなことを言いたくなる。好きでやってきたことだし、それが楽しいからやってるだけなのではあるが、だからって何もせずに書けるようになったわけじゃない。
根っこは同じなんだろうね。
人にわざわざ苦労を強いるつもりはないんだけど。
ひたむきに繰り返したことで得られる技能というものがあって。
それを知ってるからこそ、その大変さを汲んでいない軽々しい願望や評価にはムッとするのだろうなー。
抜粋2:
つくづく同意。俺は「苦労は報われる」とか「苦労はいいことだ」みたいな考え方が大っ嫌いで、その理由の一つはまさにこれだな、と思った。苦労すると他人が苦労してないのを許せなくなる。他人が苦労するように働きかける。みんなが苦労しなきゃいけなくなる。
つらい思いの拡大再生産はご勘弁願いたい。
立派な立場の人から「こういう苦労をしたからこれだけの成果を得たのだ」といったご高説を賜るのもまぁいいんだけど。
「こう取り組むから楽しく繰り返していられるんだ」ということを示せるよう、自分がいかに楽しんで取り組めるかを探して過ごしたいものです。ある種のセンスを会得しようとするときって、ひたむきな繰り返しを必要とする場合もあるし、既存の発想や品を組み合わせたりひっくり返したりしただけでサクッと得られる場合もある。
それだけに、その源泉や区別を見極めることはとても大事で。
その見極めをちゃんとできたとき、余計な苦労を押し付けることなく必要なことを伝えられるように、きっとなると思っている。
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